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世界の発展に寄与するキノベル財団とキノベル賞

キノピー先生
大学准教授 兼 ベンチャーCEO
20年以上、乳酸菌の研究に従事。現役の大学教員。大学の研究成果を社会に還元するために大学発ベンチャー企業である株式会社プロバイオを設立。最高経営責任者(CEO)を務める(兼業)。

専門分野:乳酸菌や発酵食品の機能性
きんこちゃん

こんにちは!元気ですか?

キノピー先生

きんこちゃん、こんにちは。元気だよ

きんこちゃん

今年も、ノーベル賞が発表されて日本人の方も受賞されて嬉しいですね!

キノピー先生

そうだね!日本人だけじゃなくて受賞された方は皆さん、社会に多大なる貢献をされていて素晴らしいよね。私もノーベル賞とはいかないかもしれないけど何かしら社会に貢献できるように頑張らないとね

きんこちゃん

社会貢献といえば、センセイはプロバイオという事業もやってると思いますが、事業が成功した後の、最終的なヴィジョンとかあったりするんですか?

キノピー先生

急だねぇ(笑)。心の中だけに留めていることですが、あると言えばあります。大いなる野望です(笑)

きんこちゃん

それぜひ聞かせてください!

キノピー先生

恥ずかしいのでフィクションとしてお話しますね(笑)。今日はペディオちゃんはでないよ

ペディオちゃん

(・・・・・・)

目次

プロローグ

 あるところにキノベルという男がいました。その男は普通のサラリーマン家庭に育ち、親に「勉強しろ」と一切言われなかったので、学校では真面目に授業を聞いていたものの、家ではほぼ勉強せずにのほほんと過ごしていました。でも小学生のころから何となく「博士と助手的な(?)職業」に惹かれるものがありました。なんか最後にいつも爆発するアレです(笑)。でもそんなものはテレビの世界だけの話で実際に研究で生活している人(研究者)がいるなんて当時は思ってもいませんでした。両親とも高卒でしたし、大学とかそういう「知的な」情報は一切入ってこない家庭で過ごしていました。そんな訳で、大学院っていうものがあることすら大学に入るまで知らなかったほどでした(笑)。キノベル少年は当時向上心というものがなく、普通に生きていけばいいと思っていました。そのため、高校受験の受験勉強はほぼせず、大学受験すら高校に少し残り勉強してはいたものの家での勉強時間は0というとんでもない少年でした。当時、動物が好きという理由だけで獣医になりたかったキノベル青年ですが、本気の努力というものをせずに、のほほんと過ごしていたため全くものにはなりませんでした(当然ですね)。

そんな教育とは縁遠い環境ですくすく育ったキノベルは、ある時、乳酸菌研究に出会いました。そこで研究者になりたいと思うようになりました。キノベル青年が目覚めたのはちょうどこの辺りからです。あまりにも遅すぎる目覚めと言ってもいいかもしれません。大学院は他大学に進学し、朝の9時から夜の12時まで研究室にいて、家に帰ったら風呂に入って寝るだけでという生活を何年も続けました(もちろん、ずっと研究していたわけではなく、仲間と一緒に御飯を食べに行ったり、途中スポーツなどもしていました)。土日は流石にお昼すぎに行っていましたが、それでもほとんど休みませんでした。ただ、仲間に恵まれたためか辛いと思ったことはありませんでした。5年間という大学院での修行はキノベル青年を研究者として成長させました。

学生時代は100%自分の成長にために時間を使うことができる唯一の期間で、最大の自己投資期間です。あの時代はもっとも大変で、もっとも楽しく、もっとも充実した期間だったかもしれません。年を取った今、同じような働き方はできません(体力的にも精神的にも)。若さの特権であると感じます。

院生(特に博士課程の学生)は、先が見えない中、研究に打ち込みます。私は当時あまり深く考えない性格だったので、余計なこと(先の見えない現状)はあまり考えず研究に打ち込んだことが良かったように思います。何とかなると楽観的に思えるかどうかで病む病まないが決まる気がします(そのぐらい不安定なのが博士課程の学生です)。それでも色々、現実的な悩みはあり、それが精神的な成長を促してくれました。この経験は、「努力感なしに努力する(自分は努力しているつもりはないけど他人から見るとそう見える)」ことの大切さを学ぶ機会になったように思えます。要は楽しみながらとことんやるということですね。

そんなキノベル青年は紆余曲折を経て、成長し、大学の教員をやっているわけですが、私ほど学生時代に勉強しなかった大学教員は珍しいかもしれません(半分はしておけば良かったと思い、半分はしなくて良かったと思っています)。そして、今は現状への憂いと将来への希望を両方持って生きています。

憂いと希望

今、この国というか世界中の経済がおかしくなり、貧富の格差が広がっています。でも一方で、AIやロボットなどの急速な発達により、「あの時思い描いた未来」がもうそこまで来ています。エネルギー問題も解決できそうな新技術がちらほらと現れています。AIなどにより医療の発展も益々加速していくと思われ、私達は近い将来、ありあまる自由な時間を使って、健康な身体で、本当にやりたいことをやれる時代がくるかもしれません。今はその過渡期にあり、明るい未来が見えづらいようにも思えますが、見ようと思えば明るい未来を描き得る「種」がそこら中に転がっています。嵐のような動きの現代社会では、何にフォーカスするかが今後益々重要になってくるように思えます。また、技術は誰がどう活用するかで天国にも地獄にもなることは歴史が証明しています。私達は正しい方法でこれらをうまく活用し(ときには為政者を監視し)、より良い社会作りを行っていく必要があります。そのためには一人一人が自立し、本当に自分がやりたいことをやることだと私は思っています。

もう1つの憂いが日本の大学の研究に関するものです。将来の社会を支えていくためには研究は絶対に必要です。縄文時代などとは違い、現代社会は発展なくしては成り立たないような社会になっていますし、何より人の知的好奇心と向上心は誰にも止められないものだと思います。そのような中、多くの大学教員が今の大学の状況に危機感を抱いています。若者の人口減によりどの大学も入学者の確保に追われ、教育・研究ではなく学生集めのための広報活動も大学教員の仕事の一つとなっています。学生数は増えませんから仲間同士でパイを奪い合っているのが現状です(良い言い方をすれば切磋琢磨ですが)。

国立大などは独法化による運営費交付金の削減、それに伴う研究費の削減問題により、外部資金なしにはまともな研究ができなくなっています。それは私立大でもあまり変わりません。研究費は引き下げられる一方で、インフレにより試薬代や実験機器類の価格は年々高騰しています。まるで給与は上がらないのに物価が上がるスタグフレーション状態です。

外部資金も簡単に手に入るわけではありません。自分の研究の魅力を伝える図表付きの長い文章を時間をかけて書き、応募します。採択率も決して高くはなく、落ちるときは「お祈りメール」が届くだけです。そのため、自分がやりたい研究をやるには何件もの外部資金に応募します。思いが通じて通ったら研究費を獲得できるのですが、その後待っているのが報告書地獄です。これも長い文章を結果の図表付きで書かなくてはいけません。そして、多くの外部資金は1年間のみだったりします(長くても3年程度です)。

研究費を稼げないと研究ができない⇒研究ができないと論文が書けない⇒論文が書けないと研究費に応募しても落ちる

この負のループに陥らないように研究者は必死で外部資金を稼ぎます。運よく採択されても下記のようにループに嵌ります。

応募書類を書く⇒研究する⇒研究しながら次年度の応募書類を書く⇒報告書を書く⇒応募書類を書く⇒繰り返し

という無限ループです。Xで誰かがこれを「毒饅頭」と呼んでました。毒饅頭と分かっていても食わなければいけないと。まさにそんな感じがします。大学教員は研究と教育が主な仕事であり、研究費を獲得するためのの書類書きは本来大学教員のメインの仕事ではないはずです(それも研究の内と言われればその通りで、現状はそうなっていますが)。

私は経験したことがありませんが、一昔前の大学教員はそうではなかったと言います。大学からそれなりの研究費が基礎額としてもらえ、自由な発想で時間に追われることなく研究ができていました。研究とはアイデア次第です。そのアイデアを出すためには余暇が必要なのです。頭が研究費やその他の仕事のことで一杯になっていては良いアイデアが浮かぶはずもありません。また、研究費の応募書類はそれがどんなことに役立つのか、社会的意義は何なのかなどを書く必要があり、重要視されています。しかも短期での成果を求められがちです。もちろんそれも重要なことではあるとは思います。でも目的なしに「ただ思いついたからやってみた」という研究がもっとあってもいいと思うのです。そういうところから思いがけない発見もあるのだと思います。

大学の教員になるような人達は研究したくて自らなったわけなので、人から言われなくても勝手に研究します。何故ならそれが楽しいからです。なので自由な時間を研究者に与えてもサボる人は少ないと思います(もちろんそうじゃない人も一定数いますが、それはどの組織でも同じですし、サボる人はどんな環境でもサボります)。それぞれの大学で状況は違うかもしれませんが、概ね外れてはないと思います。これが今の日本の大学の現状です。国は研究にしっかりと予算をつけるべきだと思いますが、なかなか現状ではそうはいかないようです(国も少しは考えて入るようですが十分ではありません)。

研究をやるための作戦

上記の問題は国として対策すべきだと思いますが、誰かや何かに頼っていてはどうしようもありません。不満だけが溜まるのは建設的ではないと思います。自分で何とかするしかないのです。選択肢は大きく3つです。

1.研究の規模を縮小してできる範囲でやる

2.毒饅頭を食う(申請書を書きまくって外部資金をゲットする)

3.全く別の経路で稼ぐ

多くの研究者は1か2を選択しています。私はもっと別のルールがあるのではないかと考えました。それは3です。そう「起業」という選択肢です。株式会社プロバイオは、研究成果を社会に還元するために作った会社で、その純粋な想いは今も変わっていません。お金を稼ぐために作った会社ではないのです。ですが、会社というのはお金がないと続けることができません(一体いくら私財を投入していることか(T_T))。そして、経営についても学んでいく過程で、三方良しという考え方に出会いました。売り手良し、買い手良し、世間良しです。

研究者(私含め多くの日本人も)にはお金のブロックがあると思います。お金を稼ぐことはなんか意地汚いことのような気がすると。清貧であるべきだと。でも経営の本質について学ぶうちに、これは誰かに植え付けられた概念だと思うようになりました。何故ならその商品を売って(儲けて)、誰かが喜び、それが社会のためにもなるなら最高ですよね。「商売=誰かを喜ばせること」なのかもしれないと思うようになりました。だから、今は誰かを喜ばせるために商売も頑張っています。これで研究費も稼げたらさらに良い商品に繋がり、より多くの人を喜ばせることができるかもしれません。人間というのは弱い生き物なので、常に自己を振り返り、初心に立ち返る必要があるとは思いながら、日々奮闘しています。

成功したら

話が長くなりましたが、私は成功したら蓄財して自分の子供などにたっぷりと財産を残して死のうと思っています。冗談です(笑)。親として子供が成人するまでは生活保障はしますが、多くを与えるつもりもありませんし、財産を残して死のうとも思っていません。私は聖人ではないので全く無欲なわけではありませんが、それよりもやりたいことがあります。

それは財団を作って、将来、世界のためになる研究や事業、個人的に面白いと思うことをやっている人を応援する基金を作りたいのです。事業に関しては投資や融資でもいいかもしれません。財団の名前はもちろん、「キノベル財団」です(笑)。そして、キノベル賞を作って顕彰します。この名前は学生時代に冗談で考えたものですが、今は割と本気です(笑)。

上記のように大学や民間には将来の「種」が沢山眠っています。私達も経験していることですが、十分な資金があれば花開く可能性があるのに、お金のためにそれを諦めざるを得ない状況の方が沢山います。そのような人や団体(大学、研究室、企業など)に資金を提供して、この世界をより良くするために使ってもらいたいのです。もちろん、煩わしい申請書や報告書は極力減らして。

エピローグ

これが私の将来の野望ですが、上記のことは全て妄想です。これを本当にやろうとすると運も必要ですし、覚悟が必要です。投資で運用するにしても10億ぐらいの元種が必要でしょう。現状は赤字経営で、時に「あなたには経営の才能がない」と馬鹿にされたりもします。悔しいですが、これまで研究しかやってこなかったのでそれはその通りかもしれません(なんでそんなに上から目線で言えるのかと腹も立つこともありますが、逆に協力してくれる人も沢山います)。私達が作っている商品は本物だと思っていますし、研究力もあるので可能性は無限大だと信じています。認知が広がれば一気に好転する力をもっていると。

上記のことは大変だからやらない選択肢も当然あるわけですが、やってみたいと思っています。だからやり抜くつもりです。そして、これを書くことで逃げ道を断っています(全てを投げ出したくなる時もありますが笑)。それでも何もできなかったときは、静かにスルーして心のなかで笑ってください(笑)。

「未来」は未だ来てないから未来です。できると思えば案外できるもんです。少なくとも私はそう信じていますし、信じた道を行くだけです。さて、どうなることやら。とりあえず逃げる準備をしようかな(笑)。

キノピー先生

名前:キノピー先生(大学の准教授) 専門分野:乳酸菌や発酵食品の機能性 20年以上、乳酸菌の研究に従事。現役の大学教員。大学の研究成果を社会に還元するために大学発ベンチャー企業である合同会社プロバイオを設立。最高経営責任者(CEO)を務める(兼業)。

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